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2015-01-01

お正月

1月1日

一年の始まりの元旦は去年の神様が大晦日にその力を失い、全く新しい歳神(としがみ)様が家々にくる日である。※歳神様は歳徳神、あきの方とも呼ばれ毎年いらっしゃる方向が異なり、その方向(恵方えほう)は暦にかかれている。

門松は神様を迎え入れる標識

私たちを一年間見守って御利益を与えてくれる神様を確実に自分の家に迎え入れるため松の常緑は不老、竹は倒れにくく筍を生じるので子孫繁栄、藁は稲の豊かな実り 

いつまで飾るのか?
昔は松の内(松飾りのある間)は元日から15日(どんど焼)までであったが、現在は7日まで。二荒山神社では11日(鏡開き)。※『どんど』の語源は、【火が盛んに燃える様】。

お供え(歳神への供えもの) 
橙は代々、譲り葉は継承、裏白は長命(枯れにくい) 

鏡餅
自然の恵み、神の賜物である餅米。丸餅(何事も丸く収まる)をさらに腰高にして力と生命力を祈願。丸い鏡の形。

正式な飾りには串柿を飾るものもあるが、私の解釈では、干し柿は渋いもの(苦しいこと)が甘くおいしい(うれしい)ものになる。数はニコニコ(両側に2個づつ)仲睦まじく(中6)の意味で計10個。

※なお神棚には新しい榊と御神酒を上げる

お屠蘇(とそ)
正月から三が日、一年の邪気を払い、齢(よわい)を延ばすため屠蘇散を酒・みりんに浸して飲む。平安時代に中国より伝来。三国時代の名医華陀により処方されたもので、屠(ほおむ)った者が蘇るという意味から名がついた。※屠蘇散[肉桂(ニッキ)、蜜柑皮、桔梗、山椒、百朮(びゃくじゅつ)、防風、赤小豆(あずき)などを調合し紅絹の三角形の袋にいれたもの]

祝い箸
祝いの箸は柳の両端を細くした丸箸を用いる。(塗り箸や象牙の箸は使わない。)柳は邪気と不浄を祓う神木とされ、折れにくい。(※武家時代箸が折れるのを落馬の前兆とされ嫌われた。)箸包みは奉書を三つ折りにし、水引を金銀のあわび結びでつけたもの。家長が大晦日に家族の名前を箸包みに書き神棚に供え、元旦の朝下ろして食膳に供する。※取り箸には福禄寿や寿などの字。

お節料理(おせち)
来臨した歳神様に捧げるもの。本来お重は五段重ねであったが、最近は四段重ねが主流である。一の重は口取り、二の重は焼き物、三の重は煮物、与(四)の重は酢の物、五段目は控え重。お節料理は基本的に縁起をかつぎ語呂合わせを楽しみんだもので 決まりはない。その家に伝わる料理、盛りつけをみんなで味わうことが大切である。材料は、昔は庶民でも簡単に手に入ったが、砂糖は日本にない貴重品。甘いものをたっぷり食べるのがお正月のご馳走だった。代表的な料理ととその縁起は次のとおり。

田作り(ごまめ)
しこ鰯(いわし)を干したもので、炒ってタレを絡めたもの。昔は大漁だったので田の肥料とされた。→稲の豊作               

昆布巻
身欠き鰊(にしん)を昆布で巻きかんぴょうで結んだもの。→よろこんぶ       

数の子
鰊の卵。昔はただのようなものだった。→子孫繁栄

黒豆
黒豆を甘く煮たもの。昔は田の畦でとれた。→まめまめしく働けるように金団(きんとん)‥‥サツマイモを裏ごしし砂糖を混ぜた餡に、甘く煮た栗・隠元どをまぜたもの。→黄金、金貨へのあやかり

そのほか、海老は長寿、なますは大根と人参の紅白縁起など

雑煮
元来は歳神に供えたものを下ろし、いろいろと混ぜ合わせて一家の主人が煮たもの。正月の四日が「棚おろしの日」とされ、この日初めて雑煮を食べる習わしもあった。関西地方の餅が丸いのはこの名残と思われる。雑煮のスタイルは父方と母の実家、オリジナル等何でもあり。器は大ぶりの漆椀、華やかで蓋付きならば文句無しである。

鏡開き
徳川三代将軍家光が死去したのが1月20日(1651年)。それまで武家では武具に供えた鏡餅(具足餅)を下げて雑煮にすることを刃柄(はつか)を祝うといい、女性は鏡台に供えた鏡餅を初顔(はつがお)を祝うといって20日に行われていた。その後は蔵開きの11日が鏡開きとなった。鏡開きは刃物を使わずに木槌でたたいて手で割るのがしきたりである。武家社会では切腹を連想させるかららしい。開いた餅はお汁粉などにして食べる。これは鏡餅の中に宿る歳神様の魂を分け与えてもらい一年の幸福を願うためである。

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